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白露庭
はくろてい




旧会津藩家老内藤邸の品格高い名園です。








白露庭

会津藩家老2200石 内藤介右衛門屋敷跡であり、
この庭園の年代、作者等は明らかではないが、
庭園様式はいわゆる江戸時代遠州流の流れを汲んだ由緒ある名園にして、
徳川末期頃内藤家老大いに修補、
林泉の美を加え風趣品格高い庭園である。

会津若松市


残念ながら台風23号による影響で大雨ですが、
たまたま徒歩で通りかかったのでレポを作成しました。

※内藤家そのものについては、詳しく分かったら加筆することにします。








白露庭は、現在裁判所の庭になっていると言えば
分かりやすいでしょうか。

戊辰戦争で、郭内にあった沢山の武家屋敷は焼失しましたが、
ここ白露庭でのみ、当時の家老屋敷の面影を感じる事ができます。







立派な庭です。
なんたってここ白露庭は、2200石取りの会津藩家老・内藤家の名園ですから。

ただ、池に水が張っていないのが残念です。







東屋もあります。
ここに座って、内藤さんの屋敷にご招待された気持ちで
白露邸を眺めてみるのもステキです。

良く考えてみると、会津若松市内には武家屋敷の面影が全くありません。
そういう意味で、ここ白露庭は本当に貴重です。

見過ごしてしまいがちですが、とても価値ある史跡です。






東屋の脇には碑石が建っています。
大雨が降っている中、雨に濡れた碑文を書き写すのはちょっと大変でした。

(この碑の文字はデジカメに写らない感じです)





会津の名苑として最も由緒深き若松□裁判所□内庭園の荒廃を修理し永く有志諸士の賛助により昭和八年五月工を起し八月中之れか竣成を見るに至れり仍て茲に賛助諸士の芳名を録して記念とす
昭和八年十月十五日

※芳名録になっていて,
沢山の方々のお名前が刻んであります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨が降っていて、刻んである文字が見えにくく
読めない文字があり、また間違いもあるかもしれません。








(→北)
家老屋敷と鶴ヶ城との位置関係などをご理解いただきたいので、
現代幕末との様子を比べてみましょうか。

両方とも、赤い所が現在地(解説板や地図がある場所)です。

今と昔、城や道がほとんど変わっていない事だけでも嬉しいです。

三の丸跡地に県立博物館があって、城の境界線が曖昧になっている点がちょっと残念です。
※県立博物館はスッポリと三の丸に入っています。





(→北)
さらにアップです。赤が現在地。
内藤さんの屋敷は裁判所になっています。
緑色の所が白露庭です。

雨が降っているので看板に水滴がついています。







振り返ってみると、道路を挟んで
会津藩筆頭家老の西郷頼母邸の跡があります。








大きな碑石です。
136年前にここで西郷一族21人自刃しました。









西郷邸跡

会津藩家老 西郷頼母の屋敷跡である。

戊辰の役は数多くの悲劇を生んだ。戦役が悪化し西軍が城下に殺到して篭城を知らせる早鐘が鳴ると家老の西郷頼母は急遽城に入った。

妻 千重子は、夫を送り出した後、家を清め、はやこれまでと三女 田鶴子(九才)、四女 常盤子(四才)、五女 季子(二才)を刺し、一族二十一人それぞれ辞世の歌を詠み自刃した。

なよ竹の風にまかする身ながらも
たわまぬ節はありとこそきけ


なお、一族二十一人の墓は、鶴ヶ城東南、門田町北青木善龍寺にあって、毎年その霊を弔う「なよ竹祭」がしめやかに行なわれている。

昭和五十九年六月
会津若松市
会津若松ロータリークラブ



参考:善龍寺山門。




(←北)
赤が現在地緑色が白露庭です。

きっと、市内の人には「ああ、あそこね」とすぐ分かるはずですが
その他の地域の人には(←北)とか言われてもサッパリ分からないと思います。

分かって欲しいので、絵図もUPします。

これは幕末の会津若松を描いた屏風で、鶴ヶ城天守閣でもパネルで見ることができます。
どうですか、この立派な城下町は。ムカつくことに全て灰燼に帰しましたが。

※本物の屏風は、城を取り囲む武家屋敷(郭内)のみならず
下級武士や庶民が住む郭外まで丁寧に描かれていて必見です。







(←北)
アップにしてみました。
赤が現在地緑が白露庭
名前が書いてあるので、どなたの屋敷なのかすぐわかります。





(←北)
内藤邸西郷邸位置関係は、これでお分かりいただけたでしょうか。
絵で見ると分かり難いですが、実際に敷地の辺りを歩いてみると
「ここからここまでが一軒の屋敷か!」と思うくらい広大です。
立派な城下町だったんだろうな・・・。

この辺りは、かつては家老屋敷、現在は官公庁の建物が林立しています。
昔と変わらず、今も行政の中心地です。

・・・そして、私のご先祖の家も結構ご近所です。
それも嬉しくて、だから灰燼に帰した事がいっそう悔しいです。








白露庭にはシュウメイギクが咲いていました。







内藤邸のキャプションがある辺りから
鶴ヶ城北出丸方向を撮影してみました。

・・・藩士達が血の涙を流した
屈辱の場所です。


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