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虚空山 法界寺 (曹洞宗)


戊辰戦争で悲劇の最期を遂げた中野竹子の墓があります。

中野竹子についての詳細はこちら。

桜の時期に行きました。



入り口です。
法界寺は会津坂下(ばんげ)町にあります。
細い道に面しているので、少し分かりにくいかもしれません。






曹洞宗 虚空山 法界寺   
一、 当山は永享10年(1438)創建、本尊は釈迦弁尼佛の座像である。
二、 聖観音菩薩 如意輪観世音菩薩
救世観音で世の人々の苦しみを除き福楽の利を与える。
三、 弁財天堂
護法の天女である弁財天をまつり、福寿長久、学事増進、良縁成就をはかられる。
四、 石佛の六地蔵堂
北向き地蔵は子供の厄を払うのにご利益があると参拝が多い。
五、 中野竹子の墓
境内に戊辰戦争の烈婦中野竹子の墓と、本堂に竹子の遺品展示室がある。
六、 戊辰の役殉難慰霊碑
境内に戊辰戦争における会津坂下町関係殉難者の慰霊碑がある。




奥に本堂が見えます。









中野竹子の墓・全景です。


中野竹子は才気煥発、容姿端麗で文武に秀でた典型的な会津の武家娘だった。藩主の義姉照姫の薙刀指南役の赤岡大助に七歳から薙刀を習った関係からか、赤岡家の養女となった。しかし大助の甥との結婚を嫌い、後に父に頼み実家の中野家に復縁してもらっている。

竹子の父は中野平内といい、足利藩士の生沼喜内の娘コウを娶りこの竹子と弟の豊記、妹の優子をもうけた。父平内は明治11年で病没しており、若松・妙法寺の中野家の墓に祀られている。

戊辰戦争の時、22歳の竹子16歳の妹・優子と城に駆けつけたが門はすでに固く閉ざされていた。そこで、照姫が乳母の家の坂下に退かれたという話を聞いて坂下へ急行した。しかしそれは誤報であった。姫の姿はどこにもなく、法界寺で一夜を過ごしたという。

翌日旧8月25日、若松の町外れ越後街道の涙橋のあたりで、長州、大垣の兵と遭って壮烈な戦いとなる。敵は女とみて生け捕りにしようとした。

竹子は髪を短く切り、薙刀を振りかざして奮戦したが、不運にも弾丸が額に命中し、血は草を真っ赤に染めた。息も絶え絶え竹子は妹の優子を呼んで「敵に首級を渡すな」といって介錯を頼んだのだった。優子は泣く泣く首を打ち落とし、小袖に包んで坂下まで落ち延び、この法界寺に葬ったのである。

一説には、農夫が首級を敵に奪われないようにと持ち帰ったとも言われている。後に、上野吉三郎という人が手厚く葬ったという。しかし、別説ではその農夫が上野吉三郎だともいう人がいるが、その辺のところは良く分からない。

武士の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも

辞世の短冊を薙刀の柄に結いつけてあった。会津娘子軍の隊長としてその花の散りぎわの見事さは称えて余りあるものだ。

竹子の号をとって「小竹会」が昭和43年に結成された。それ以後、毎年9月10日に顕彰会とともに墓前祭がしめやかに行なわれる。

竹子の妹、優子の薙刀は、白虎隊記念館か、白虎隊伝承史学館のどちらかで見られました。
うーん、どっちだったか・・・?








娘子軍隊長
中野竹子の墓

辞世 武士の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも

風雲急をつげる戊辰の役に竹子は娘子軍を編成し、自ら隊長となり、鶴ヶ城救援に赴いた。薙刀に長じた竹子は勇戦奮斗中不幸にも銃弾にたおれ、介錯を命ぜられた妹優子は泣く泣く首をはね娘子軍編成の地である法界寺に葬った。竹子は書をよくし数点の遺品と薙刀は寺宝となっている。




うーん、書籍も看板も、全体的に「第二次世界大戦で利用された」っぽい書かれ方だな〜。

「烈婦」とか「隊長」「娘子軍」とか、どうにかなりませんかね〜。

何度も言ってしまいますが、中野竹子をはじめとした「西軍と戦った女性達」「軍隊」ではないのです。

個人の意思で戦ったのです。

自分の住んでいる土地に、他所から軍隊が攻めてきたら、大切なものを守る為に戦うでしょ?
それが、鳥羽伏見をはじめとして、夫とか兄とか、自分の身内を殺した人たちだったら、恨みを晴らしたいと思うでしょ?

それを「軍隊」としてしまったら、会津藩が組織的に女性まで戦わせたように思われてしまいます。

実際、そう思い込んで「会津の殿様は酷いヤツだ」とあざ笑う人がいると聞きました。

聞きかじりの話で妄想を広げてしまう、物を知らない人には困ってしまいます。

何度も言いますが、女性まで戦わせたら、戦力不足をわざわざアピールする事になります。
軍事面からも、そんなバカなことする訳ないじゃないですか。

理解してください。できましたか?

ここを誤解されてしまうと、中野竹子たちの想い会津藩の品性が疑われてしまうので、あえて強調しておきます。









うーん、何て書いてあるのか見えません・・・。
たぶん、烈婦竹女云々って感じだと思います。


参考資料
「会津の寺」(耶麻、河沼、大沼、南会津の寺)
歴史春秋社

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