浄土宗 自然山浄縁院
融通寺
勅願寺としての歴史を持つ名刹です。
町野主水の墓があります。
融通寺の入り口です。 本堂です。 戊辰の戦火を逃れた本堂は、当時の面影を留めています。
屋根には菊の御紋があります。 何故なら、ここ融通時は本山・知恩院の直末の官寺で、 後陽成天皇の宸筆を得ているからです。 この時代、地方の一寺院が時の天皇の宸筆を与えられ、 あまつさえ勅願所とされた例は他に無いそうです。
入り口。 車が停まっていたので斜め写真ですけど。 入り口から左(南)のほうを撮影。
>勇士の遺徳を賛仰し ふーん。 大きくて立派です。 あ〜あ、会津に京都守護職押し付けたくせに・・・。 薩摩。 墓石の表に松方正義筆って書いてあります。 台座の部分には一人一人の名前が刻んであるようです。 後にたまたま友人が写っているので、大きさが分かると思います。 長州。 これも一人ずつ名前が書いてあったと思います。 大垣。 台座に名前が刻んであります。 小さい墓石もあります。 これは一人に付き1つっぽいです。 南側から北側を撮影。 奥に融通寺の本堂が見えます。 全ての藩の墓石は網羅できませんでしたがご容赦を。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ああ、この寺には町野主水の墓があったのですよ。 ここに墓があるとは知らなかったので探さず、お参りできませんでした。 我々は、もともとある程度の基礎知識を有するので史跡めぐりをする訳ですが、 こうやって後日まとめるために色々と本を見ていると、抜けているのがあって もう一度いく事になってしまうのです(^^; 町野主水については、後日詳しく調べる予定です。 墓参りもしないといけませんし。
※このページだけは、個人的なコメントを極力控えました。 参考資料 ・会津の寺(会津若松市・北会津村の寺々) 歴史春秋社 ・幕末会津藩 歴史春秋社 ※2004年9月に町野主水の墓参りをしてきました。 「歴史イベント」の「御宸翰公開」レポにてご覧いただけます。 戻る |