白露庭
はくろてい
旧会津藩家老内藤邸の品格高い名園です。
残念ながら台風23号による影響で大雨ですが、 たまたま徒歩で通りかかったのでレポを作成しました。 ※内藤家そのものについては、詳しく分かったら加筆することにします。 白露庭は、現在裁判所の庭になっていると言えば 分かりやすいでしょうか。 戊辰戦争で、郭内にあった沢山の武家屋敷は焼失しましたが、 ここ白露庭でのみ、当時の家老屋敷の面影を感じる事ができます。 立派な庭です。 なんたってここ白露庭は、2200石取りの会津藩家老・内藤家の名園ですから。 ただ、池に水が張っていないのが残念です。 東屋もあります。 ここに座って、内藤さんの屋敷にご招待された気持ちで 白露邸を眺めてみるのもステキです。 良く考えてみると、会津若松市内には武家屋敷の面影が全くありません。 そういう意味で、ここ白露庭は本当に貴重です。 見過ごしてしまいがちですが、とても価値ある史跡です。
(→北) 家老屋敷と鶴ヶ城との位置関係などをご理解いただきたいので、 現代と幕末との様子を比べてみましょうか。 両方とも、赤い所が現在地(解説板や地図がある場所)です。 今と昔、城や道がほとんど変わっていない事だけでも嬉しいです。 三の丸跡地に県立博物館があって、城の境界線が曖昧になっている点がちょっと残念です。 ※県立博物館はスッポリと三の丸に入っています。 (→北) さらにアップです。赤が現在地。 内藤さんの屋敷は裁判所になっています。 緑色の所が白露庭です。 雨が降っているので看板に水滴がついています。 振り返ってみると、道路を挟んで 会津藩筆頭家老の西郷頼母邸の跡があります。 大きな碑石です。 136年前にここで西郷一族21人が自刃しました。
(←北) 赤が現在地、緑色が白露庭です。 きっと、市内の人には「ああ、あそこね」とすぐ分かるはずですが その他の地域の人には(←北)とか言われてもサッパリ分からないと思います。 分かって欲しいので、絵図もUPします。 これは幕末の会津若松を描いた屏風で、鶴ヶ城天守閣でもパネルで見ることができます。 どうですか、この立派な城下町は。ムカつくことに全て灰燼に帰しましたが。 ※本物の屏風は、城を取り囲む武家屋敷(郭内)のみならず 下級武士や庶民が住む郭外まで丁寧に描かれていて必見です。 (←北) アップにしてみました。 赤が現在地、緑が白露庭。 名前が書いてあるので、どなたの屋敷なのかすぐわかります。 (←北) 内藤邸と西郷邸の位置関係は、これでお分かりいただけたでしょうか。 絵で見ると分かり難いですが、実際に敷地の辺りを歩いてみると 「ここからここまでが一軒の屋敷か!」と思うくらい広大です。 立派な城下町だったんだろうな・・・。 この辺りは、かつては家老屋敷、現在は官公庁の建物が林立しています。 昔と変わらず、今も行政の中心地です。 ・・・そして、私のご先祖の家も結構ご近所です。 それも嬉しくて、だから灰燼に帰した事がいっそう悔しいです。 白露庭にはシュウメイギクが咲いていました。 内藤邸のキャプションがある辺りから 鶴ヶ城の北出丸方向を撮影してみました。 ・・・藩士達が血の涙を流した 屈辱の場所です。 戻る |