清水屋旅館
しみずやりょかん
土方歳三が泊まった宿です。
残念ながら、昭和初年に取り壊されました。
現在は大東銀行になっています。
雨の中、「昭和なつかし館」から「山田民芸工房」に行く為に 傘をさして七日町周辺を歩いていました。 ふと思い出しました。 「清水屋旅館ってこの辺じゃありませんでしたっけ?」 と、周りを見渡したら、私のすぐ左隣にこの石柱がありました。 新撰組には興味が薄いので、 清水屋旅館の場所も確認した事が無かったのです。 |
写真の右側が歩道です。 どこかのおねーさんが歩いているので分かりますよね。 現在は大東銀行になっていて、旅館は跡形もありません。 石柱と解説文があるのみです。 |
この場所には吉田松陰、土方歳三など多くの歴史的人物が訪れた「清水屋」という旅館がありました。 幕末の志士達に大きな影響を与えた吉田松陰は嘉永5年(1852)22歳の時に東北各藩を歴訪する大旅行をしています。 中でも会津藩には特に強い関心を示し、二度に渡って訪れ、多くの人々と会い見聞を広めています。松陰の旅の記録「東北遊日記」に記された七日町の宿がここ「清水屋」でした。 松陰が会津を去ってから16年後に戊辰戦争がおこります。 会津と運命を共にした新撰組副長・土方歳三は宇都宮城の攻防で足を負傷し、会津田島を経て「清水屋」に運び込まれ治療を受けています。土方はその後、函館五稜郭まで転戦し西軍と徹底的に戦い続けたのです。 明治15年には「清水屋事件」が起こります。 喜多方出身の自由民権運動家・宇多成一らが帝政党員に襲われ重傷を負います。宇多誠一はこの後、国事犯として捕らえられますが、明治25年には復権し県議会員に当選、最期まで自由党を守り通しました。 木造三階建ての純日本旅館清水屋は、幕末から明治・大正にわたって会津の歴史を見つめ続け、昭和初年に惜しまれながら取り壊されました。 |
何となくアップにしてみました。 宇多成一の喜多方事件は、塩川町にある弾正ヶ原に行って 写真を撮ってからレポを作成します。 |