会津松平家廟所・2





3代目〜9代目藩主が葬られている場所です。

この亀石、ラブリーなので好きです。

2代藩主が仏式で葬られている他は全て神道形式で葬られているのが特徴で、
初代藩主の墓所の形態にならっています。

その構造は「碑石」と呼ばれる藩主の事跡を記したものを前面に置き、
一段高い個所に石灯籠を並べ、その奥に「表石」を建てています。

そして、もっとも奥まった場所に藩主が葬られている円墳があり、その頂上には八角形の「鎮石」を置いています。






階段を登りきると・・・。

ぎょえー!ど、どうしてこんなに人が沢山!?

ここがこんなに賑わっているなんて初めて見ました。

質問してみたら、福島市の歴史サークル系の方々でした。
全員ご年配の方々です。楽しい老後って感じ(^^)

容保の廟の前で集合写真を撮るというので、シャッターを押してあげました。

「墓石と全員が入るようにしてね。
覗くと四角いのが真中にあるから、それでピントを合わせてね・・・」

・・・って、まかせてくれ!!
大丈夫だから!!







なるべく人が写真に収まらないように気をつけて撮影しています。

亀石については後ほど。
とりあえず殿(容保)の所へ!

すわ!ダダダー!









「奉納 石段 歩道 
松平恒雄」


この上に殿(容保)がいらっしゃいます。









との〜。

また来ましたよ。

※殿は神様(神道)なので
お参りの際はお気をつけ下さい。お経とか唱えちゃいけませんよ。











殿の亀石です。
碑石には殿について刻まれています。


もちろん、コンクリートなんかじゃありません。ちゃんと全部石で出来ています。







  

実は、殿の亀石は・・・。

それ以前の歴代藩主の物と比べて格段に小さいのです!!

お気の毒じゃないですか!
帝をお守りした殿なのに!

↑座ってすみません。スケールの分かる写真がこれしかなくて。




  

亀のお尻はラブリーです。

どんぐりが3つ乗っていました。










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殿のお墓の左隣には
10代藩主やその他ご家族、ご子孫が葬られています。

※ここで言う10代藩主ってのは斗南藩のことでしょうか?

これも調べないと。「外家族」の方らしいのですが。









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ご年配の方々がお帰りになられたので、じっくり廟所を満喫できます。

藩主一人につき、亀と碑石と鎮石の3点セットです。

鎮石だけは、左手の高くなっている所の上にあります。
ご遺体はそちらになります。









亀〜
亀は1つの石からできています。
もちろん、上に乗っている碑石も1つの石で出来ています。









殿(容保)以外の亀は非常に大きいのです。

セダンよりも大きいかもしれません。






  

亀が見上げる先は高くなっています。

両脇に石灯籠があり、その奥に鎮石があります。


手前の四角い石囲いは祭壇かなと思っているのですがどうでしょう?

鎮石のまっすぐ向かいにありますので。

※亀は鎮石のちょっと右寄りに位置しています。

やっぱりそうでした〜。拝殿跡だそうです。
木造の建築物があったそうです。きっとこれも戊辰で焼失だな。









亀は苔むしてなお殿達を見守っています。

この亀は碑石を支える台石で亀趺坐といいます。
このおおきな亀は竜の子で、死者の霊をお護りする想像の動物。古代中国の故事から引用され、この形に彫られているという。どの亀も頭は北を向いている。

※正確には真北ではないそうです。










  


市の整備の関係で杉を伐採している業者の方々です。
※休憩中のようです。

とりあえず枯れた木から切っているそうです。

そう言われれば、見上げると枯れた木が結構あります。


おっちゃんいわく
「昔はこんなに木なんか無かったはずだァ。
放っておいたからこんなに育っちまったんだ。」

だそうです。

まあ、廟所の本来の姿には興味がありますけど、この寂れ具合も好きだったんですよ。

今はもうすでに、ちょっとスッキリした感じです。もっとうっそうとした感じだったのになあ。


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