会津満喫ツアー・6
十六橋
※このページに関しては調べ学習が追いつきません。
十六橋と安積疎水についての詳細は後ほど・・・。
猪苗代湖の水が灌漑用に供されたのは
そのはじめ会津の国主蒲生氏郷が地方民の建言をいれて
布藤堰と戸ノ口堰とを開いたのに始まる。
下って明治15年に安積疎水が設けられてから
湖水の利用は飛躍的に盛んになった。
お抱え外国人技師、ファン・ドールン君。 第二次世界大戦の時、この銅像は溶かされそうになりましたが 地元住民が土に埋めて隠したそうです。 |
ドールン君、横から。 |
磐梯山をかたどった記念碑。 |
十六けう。 |
十六橋。 水門が16あるのです。 |
十六けうと水門は並行しています。 ああ、十六橋も戊辰戦争と関係あるんですよ〜。 ちゃんと調べないと・・・。 自分的には分かっているのですが、文章にするとなると足りない・・・。 |
猪苗代湖の水面。 |