蚕養国神社
こがいくにじんじゃ




以前から来てみたかった神社です。




地元の人は単に「こがい神社」と言いますが
正式名称は「こがいくに神社」です。

養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されています。





解説文はキャプションより引用。




写真手前では浅葱袴の神職さんが
掃き掃除をなさっておられました。

手入れが行き届いていて、清浄な感じを受ける神社です。
個人的に、高感度はかなり高かったです。







日本一社 延喜式内 蚕養大明神

御祭神
保食大神
天照大神
稚産霊大神


年中行事
1月1日 元旦祭
2月初午 初午祭
4月19日 養蚕祈願
4月20日 講社祭
太太御神楽
6月30日 大祓
8月1日 例大祭
8月2日 神輿渡□
11月15日 七五三祭
11月 新穀感謝祭
12月30日 大祓

新車祓 結婚式 地鎮祭 家内安全 厄祓 初宮詣 その他
ご祈祷致します

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こういう素敵な神社での結婚式も良いですね。








御祭神
・保食大神(うけもちのおおかみ)
・稚産霊大神(わくむすびのおおかみ)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)

御末社
・五社稲荷神社
・鬼渡神社
・護忠霊神
・和霊々社
・宗像神社


御由来
蚕養国神社は、日本一社にして延喜式神明帳に、陸奥一百座の一つである。
52代嵯峨天皇の御代弘仁2年(811)鎮座にて、
54代仁明天皇承和年中に、官社に列せられ、
醍醐天皇の御代、延喜式選定の折、式内の社となる。
一条天皇寛弘7年(1011)に、県令、石部少将道秀・堂家左京大夫憲照・石塚丹後頼春等により、社殿を造営す。
その時の神官を、蚕養蔵人という。
その後、兵火のため社殿炎上し神離の境内であったが、保科正之侯が官工、鷹谷弥十郎宗清に命じ、社殿以下を造営し、社領20石を寄付、櫻町天皇寛保3年(1743)には正一位の極階に進まれた。
文化4年社殿焼失し、文政2年(1819)松平容敬朝臣・社殿以下を、正之侯創立に写し、今日に至る。

御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。

・例大祭・・・8月1日、2日
・太太御神楽・・・4月19日,20日
・月次祭・・・毎月1日、15日






朱色の鳥居の向こうには本殿があります。








立派です。提灯には会津葵が。







ちょっと平安ちっく?









私の血縁者は、こういう建物を見ると必ず
アニメの「一休さん」を思い出すようです。
皆様はいかがでしょうか。










横から。








神楽殿。
ああ、ここで太太神楽(だいだいかぐら)をやる訳ですね。
うーん、派手過ぎない立派さが素敵です。







市指定文化財 第85号
平成9年3月18日指定
天然記念物 峰張ザクラ(エドヒガン)

会津若松市蚕養町61−1

峰張ザクラは、推定樹齢900年以上で、蚕養国神社の御神木となっている。
蚕養国神社は、市内の古三社の一つで保食神、天照大御神、稚産霊神を祀ってあるが、延喜によると、弘仁2年(811)に鎮座。

寛弘7年(1010)県令石部少将道秀、堂家在京太夫憲昭等が尽力して社殿を創設したときに、このサクラが植えられたと伝えられている。

大正9年8月、大正天皇の后、貞明皇后が当社を参詣の際に峰張ザクラに関心をよせられ、穂木を採取、皇居紅葉山にある御養蚕所の近くに植樹されている。

形状
樹高 14m
胸高幹周 574cm
根元幹周 810cm

平成12年6月 会津若松市教育委員会

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皇后陛下も代々蚕を飼っておられますよね。
美智子皇后が飼っておられる小石丸など、
「まゆの中央がくびれた俵型」をしているものは
原種に近い品種で改良されていないものなんですよ。

チョコエッグのカプセルのように、きれいな俵型をしているものは
良質で沢山の絹糸がとれるよう、改良に改良を重ねた品種です。

もちろん野生では生きられません。

お気づきかもしれませんが、私の絹好きは
製品化された布や糸のみならず、繭や蚕にも及んでおります。

もともとがどうなっているのか、全てにおいて気になってたまらないのです。

装束においては縫製、
布に関しては織りの種類や技術、素材。
やりたいことが沢山あって、一生退屈しないで済みそうです(^^)







龍の口からは水が出ていました。
こういう「人の気配を感じる神社」っていいですね。

寂しい神社は水も出ていないし、落ち葉も掃き清められず、
石灯籠も崩れ・・・。


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