蚕養国神社
こがいくにじんじゃ
以前から来てみたかった神社です。 地元の人は単に「こがい神社」と言いますが 正式名称は「こがいくに神社」です。 養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されています。 |
写真手前では浅葱袴の神職さんが 掃き掃除をなさっておられました。 手入れが行き届いていて、清浄な感じを受ける神社です。 個人的に、高感度はかなり高かったです。 |
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日本一社 延喜式内 蚕養國大明神 御祭神
年中行事
新車祓 結婚式 地鎮祭 家内安全 厄祓 初宮詣 その他 ご祈祷致します ・・・・・・・・・・・ こういう素敵な神社での結婚式も良いですね。 |
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御祭神
御末社
御由来 蚕養国神社は、日本一社にして延喜式神明帳に、陸奥一百座の一つである。 52代嵯峨天皇の御代弘仁2年(811)鎮座にて、 54代仁明天皇承和年中に、官社に列せられ、 醍醐天皇の御代、延喜式選定の折、式内の社となる。 一条天皇寛弘7年(1011)に、県令、石部少将道秀・堂家左京大夫憲照・石塚丹後頼春等により、社殿を造営す。 その時の神官を、蚕養蔵人という。 その後、兵火のため社殿炎上し神離の境内であったが、保科正之侯が官工、鷹谷弥十郎宗清に命じ、社殿以下を造営し、社領20石を寄付、櫻町天皇寛保3年(1743)には正一位の極階に進まれた。 文化4年社殿焼失し、文政2年(1819)松平容敬朝臣・社殿以下を、正之侯創立に写し、今日に至る。 御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。 ・例大祭・・・8月1日、2日 ・太太御神楽・・・4月19日,20日 ・月次祭・・・毎月1日、15日 |
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朱色の鳥居の向こうには本殿があります。 |
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立派です。提灯には会津葵が。 |
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ちょっと平安ちっく? |
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私の血縁者は、こういう建物を見ると必ず アニメの「一休さん」を思い出すようです。 皆様はいかがでしょうか。 |
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横から。 |
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神楽殿。 ああ、ここで太太神楽(だいだいかぐら)をやる訳ですね。 うーん、派手過ぎない立派さが素敵です。 |
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市指定文化財 第85号 平成9年3月18日指定 天然記念物 峰張ザクラ(エドヒガン) 会津若松市蚕養町61−1 峰張ザクラは、推定樹齢900年以上で、蚕養国神社の御神木となっている。 蚕養国神社は、市内の古三社の一つで保食神、天照大御神、稚産霊神を祀ってあるが、延喜によると、弘仁2年(811)に鎮座。 寛弘7年(1010)県令石部少将道秀、堂家在京太夫憲昭等が尽力して社殿を創設したときに、このサクラが植えられたと伝えられている。 大正9年8月、大正天皇の后、貞明皇后が当社を参詣の際に峰張ザクラに関心をよせられ、穂木を採取、皇居紅葉山にある御養蚕所の近くに植樹されている。 形状
平成12年6月 会津若松市教育委員会 ・・・・・・・・・・・・ 皇后陛下も代々蚕を飼っておられますよね。 美智子皇后が飼っておられる小石丸など、 「まゆの中央がくびれた俵型」をしているものは 原種に近い品種で改良されていないものなんですよ。 チョコエッグのカプセルのように、きれいな俵型をしているものは 良質で沢山の絹糸がとれるよう、改良に改良を重ねた品種です。 もちろん野生では生きられません。 お気づきかもしれませんが、私の絹好きは 製品化された布や糸のみならず、繭や蚕にも及んでおります。 もともとがどうなっているのか、全てにおいて気になってたまらないのです。 装束においては縫製、 布に関しては織りの種類や技術、素材。 やりたいことが沢山あって、一生退屈しないで済みそうです(^^) |
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龍の口からは水が出ていました。 こういう「人の気配を感じる神社」っていいですね。 寂しい神社は水も出ていないし、落ち葉も掃き清められず、 石灯籠も崩れ・・・。 |