虚空山 法界寺 (曹洞宗)
戊辰戦争で悲劇の最期を遂げた中野竹子の墓があります。
中野竹子についての詳細はこちら。
桜の時期に行きました。
入り口です。 法界寺は会津坂下(ばんげ)町にあります。 細い道に面しているので、少し分かりにくいかもしれません。
奥に本堂が見えます。 中野竹子の墓・全景です。
竹子の妹、優子の薙刀は、白虎隊記念館か、白虎隊伝承史学館のどちらかで見られました。 うーん、どっちだったか・・・?
うーん、書籍も看板も、全体的に「第二次世界大戦で利用された」っぽい書かれ方だな〜。 「烈婦」とか「隊長」「娘子軍」とか、どうにかなりませんかね〜。 何度も言ってしまいますが、中野竹子をはじめとした「西軍と戦った女性達」は「軍隊」ではないのです。 個人の意思で戦ったのです。 自分の住んでいる土地に、他所から軍隊が攻めてきたら、大切なものを守る為に戦うでしょ? それが、鳥羽伏見をはじめとして、夫とか兄とか、自分の身内を殺した人たちだったら、恨みを晴らしたいと思うでしょ? それを「軍隊」としてしまったら、会津藩が組織的に女性まで戦わせたように思われてしまいます。 実際、そう思い込んで「会津の殿様は酷いヤツだ」とあざ笑う人がいると聞きました。 聞きかじりの話で妄想を広げてしまう、物を知らない人には困ってしまいます。 何度も言いますが、女性まで戦わせたら、戦力不足をわざわざアピールする事になります。 軍事面からも、そんなバカなことする訳ないじゃないですか。 理解してください。できましたか? ここを誤解されてしまうと、中野竹子たちの想いや会津藩の品性が疑われてしまうので、あえて強調しておきます。 うーん、何て書いてあるのか見えません・・・。 たぶん、烈婦竹女云々って感じだと思います。 参考資料 「会津の寺」(耶麻、河沼、大沼、南会津の寺) 歴史春秋社 戻る |